心が身体に発するサイン

身体に感じる痛みが発生した時、「その原因にしっかり向き合うことの大切さ」について考えてみたいと思います。

自分を鏡に映して見て分かること

突然ですが、最近、裸になって鏡の前に立ったことはありますか?

これは、自分の心と身体のバランスを見てみる一つの方法で、より自分の身体を自分の中で把握し、繋げるために大切なアクションなのです。

まず、裸になって鏡の前に立ってみてください。

目を閉じて深呼吸をし、自分が楽な状態で目を開けてみましょう。

①鏡に映った身体は全体的にどのような形をしていますか?

—今の自分の心と照らし合わせたときに、鏡に映る身体は全体的に元気でしょうか。それとも前に比べて変化して見えたり、想像以上に違う形をしていますか。

②どんな姿勢をしていますか?

—無理して不自然に姿勢を整えると、途端に変な感覚や痛みが出てきませんか?一番無理のない姿勢は、自分にとってどのような姿勢ですか?それは期待通りですか?もしくは自分がイメージしていた自分の姿勢とは違う状態ですか?

③鏡に映る自分の身体そのものを受け入れることができますか?

—避けたい、見たくない部分があったり、変えたい部分がありますか?

どう感じたとしても、まず自分の両頬に手をあてて、自分の手の温かさを感じ深呼吸し、飾らない自分に意識を戻してみましょう。①〜③の問いは、決して身体をかっこよくキレイに見せるためのアクションではありません。これは「自分の心と身体の状態が合致しているか、意識や把握が合致しているか」を確かめることによって、そのようなズレがあるかを感じるためのものです。

私たちが普段感じるさまざまな不快感や痛みは、このような自分の心と身体のバランスが「ちぐはぐ」になってしまうことで、アンバランスさをきたした結果であることが多く、対処法をそのまま他のもの(例えばサプリメントや薬、機械など)に委ねても、根本的には改善しないことが予測できます。それは、私たちがそれぞれに「心と感覚」を持ち、それが現在の身体の状態に直接繋がっているからです。

また自分のイメージだけで身体が違うと感じてしまうことも、心と身体のバランスが「ちぐはぐ」な状態を引き起こしてしまいます。まずは自分の手で、自分の身体に触れてあげましょう。

「ネガティブなストレスや人間関係の原因で疲れ、さらにそれが自分の不摂生に繋がっているな」と心で感じている人が、身体もそれを反映したような状態になっているというのは、容易に予測できます。そして私たちはこのアンバランスさを避けて、改善すべきものをどんどん遅らせてしまいます。でも、これが私たちの日常繰り広げられている不調和の根本でもあります。

特にこのコロナ禍において、身体の不調和を感じている方も少なくないと思います。

 

大切な軸を担う背中の痛み

毎日の疲労やストレスが蓄積されて、如実に変化が出やすい場所があります。それは「背中」です。私たちが鏡に映して見ている自分の姿の中心にある背中には、私たちが「呼吸」を行う肺や、身体全体に血流を送り込む役割のある肩甲骨という骨があります。

私たちは不安や恐怖、緊張や疲労感を感じることで、肩がすくんだり、前かがみになったりしますよね。これは心の状態が筋肉を緊張させたりすることで、身体の姿勢として現れる状態です。

さらに、立ってもしくは座って作業や仕事、家事を行なっている場合、その姿勢によって呼吸がスムーズにできなかったり、呼吸の浅さが続くことで身体全体への血流や循環への不具合、そして滞りやむくみを発生させる原因にもなります。

また、考えすぎで緊張状態にある場合には、肩が前かがみになってしまうような姿勢をとるため、胸の部分が狭くなってしまい、日常の中で深い呼吸を行うことが困難になっています。そして肩まわりにいつも痛みを感じている場合は、心配以上に何らかの負担を感じ続けている状態です。

そして長く続くほどに、頭痛や他に感じる症状にもさらに繋がっていく可能性があることを認識する必要があります。まずその状態を解決もしくは改善することに向き合うことが大切です。まっすぐに顔をあげ、両腕を横に大きく開いて胸を大きく深呼吸したその感覚を、自分の中で感じることから始めてみてください。

床やベッド、布団の上で、まず両腕と両足を思いっきり開いてみてください。自然と深呼吸したくなる体制になりますよね。そして徐々に力を抜いて自分に意識を戻します。

このように、背中の痛み一つとってみても、必ずしも単純に一つの身体的な不快感や痛みではなく、心と身体が繋がって反応していることが多くあります。本当の原因がどこにあるのかを考えるきっかけになり、そして実はそれが、心が発するなんらかのサインとして繋がりがある、ということを理解することができます。

とにかく自由に身体を伸ばして広げる、そんなちょっとした力の調整と呼吸の調整が、私たちを解放する数分間になります。誰も見ていません(笑)思いっきりやっちゃいましょう!

 

心の不調からくる身体の痛み

私たち人間が感じる不快感や痛みは、決して表面的な現象だけではなく、心の状態に深く関わっています。

しかし、その心から発せられる疲れや辛さが、結果として身体の不快感や痛みとして表れてくることに、なかなか気づかないこともあります。

それは、私たちが大人になればなるほど、「文字で理解しよう」「分かる範囲で対処しよう」という感覚が強くなり、身体が発している不快感や痛みを自分の内側ではなく、常に外的な要因として何らかの病気や傷などと繋がっていると思い込んでいるからです。そして、不快感や痛みに必ずはっきりとした病名や理由を求めてしまうのです。

おそらく誰もが一度は、病院に行っても原因のはっきりとしない病名を言われたり、自分の不快感や痛みの診断が腑に落ちないといったような経験をしているはずです。それが「ストレス性の……」というような病名になり、その原因は薬ですぐに改善することはできません。

その時に初めて、「え?自分の心の原因?」と気づいたり、考え始める人もいるのではないかと思います。もしくは、すでに自分の心の状態が体調にも現れていると気づいて長い時間を過ごしている人も少なくないと思います。その感覚は決して間違いでも気のせいでもなく、自分で感じる大切な感覚サインです。

 

不快感や痛みを軽減させている手

原因や理由がはっきりとわからず不快感や痛みを抱えている時に、身近な力で改善する方法とは?

それは、「温かさ柔らかさ・心地よい刺激・触れる体温」です。

実は、私たちは薬ではなくとも温かみによる「安心感と安らぎ」で、不快な症状や痛みを改善させることができる可能性を持っています。人からの温かさや触れられる安心感によって、心の安定だけではなく、免疫や機能的な身体の働きにも大きく影響を及ぼしているのです。

皆さんは不快感や痛みを感じている部分に、知らず知らずに自分の手を当てている、自分の手でその場所に触れたり覆っているといった行動を、無意識にしている覚えはありませんか?

まさに今、どこでもいいので自分の身体でほんの少しでも不快感や痛みのある部分に、そっと手を当ててみてください。そしてその手の重みと温かさを感じながら、そっと深呼吸してみてください。

少しだけ不快感や痛みが少しやわらいだりしませんか?

例えば、頭が痛い時には自然と手を頭に当てていたり、息苦しく感じる時は胸、ふくらはぎがむくんで痛みを感じた時は……自然とその場所をさすったり、感触を確かめたりしていますよね。

私たちはなぜこのように不快感がある部分や痛みがある部分に対して、手を当てようとするのでしょうか?

実は手を当てることでその部分をカバーしたり、不快感や痛みを軽減させようとしているのです。

ドイツの哲学者であるカント氏は、「The hand the human outer brain」(手は外側にある脳である)と伝えており、心理学者のレーヴェース氏は、「The hand is frequently more intelligent than the head」(手は時に頭よりも賢い)と伝えています。

人間は手から多くの情報や感覚を得ながら、さらに手を当てることが不快感や痛みなどに対する対処として効果があることを、本能的に知っているのです。

皆さんも誰かに触れられたり、手を当ててもらうことで安心したり、気持ちが軽くなったり、そして痛みが軽減したりという経験があると思います。

これはタッチケアの一つとしても、とても大切な基礎となる感覚です。

例えば海外の事例では、子供が火傷を負った際の治療において、タッチケアとして子供に手を当てて触れる場合と、そうでない場合の傷の治癒速度が変化するという結果があります。それほど「手」には目に見えない力があるのです。

このような観点から考えると、自分でマッサージケアをしたり、マッサージケアを受けることも、この「手を当てたり、当ててもらったりすることの一つ」となります。心身の不快感・痛みへの改善方法として、何よりも皆さん一人一人が心地よさ、安心感、優しさ、ぬくもり、そして自分の、そして誰かの「手当て」を必要としているはずです。

そして好きな人、愛する人と触れ合うことも、自然と私たちはこういった心と身体の感覚の充足感や至福感を得るために、大切なこととして本能的に感じています。赤ちゃんや子供への触れ合いも同じです。

私たちは常にこういった感覚を誰かに与えたり、与えてもらったりしているのです。

心と身体の繋がりを意識することによって、すぐに何か飲んだり貼ったりすることで対処する前に、まず私たちは「自分で自分の身体が本当に必要としている状態が何か」を考えてあげることができるかもしれません。

私たちは、どんなに年齢を経ても、この感じて安心するという本能的感覚は消えることはありません。

しかし、大人になればなるほど、この自然に触れ合うことでの心と身体の充足感や至福感を得にくくなり、その感覚が必要だと素直に表現できなくなったりもします。本来私たちが自然に感じる、そして必要とする感覚に対して、改めてまた向き合い直す必要がある時代になっているように感じます。

触れることで感じること

波打ち際を歩いて足に感じる冷たい海の感覚、でも心地よい感覚

氷に触れて手で感じる爽快感

入浴の際にジワジワ浸透する温かさと心地よさ

地面に素足をつけてひんやりと感じる冷たい心地よさ

砂浜を歩くときに感じる熱さ

芝生を裸足で歩いて感じるチクチク感と心地よさ

フワッフワの柔らかいタオルに包まれたときに心地よさ

頭をそっと撫でられたり、抱きしめられたときの心地よさ

全部、「わぁ〜!」と声をあげてしまいたくなる開放感があります。

人の心に触れて感じること、環境から感じる体感値と感覚、この日常の「少し」が私たちの心と身体の気づきや刺激を与えてくれていることを、身近にも見直していきたいですね。

心と身体の繋がり、そしてお互いに刺激し合い補い合っている大切な関係。どちらに不調和が生じても、それは両方へのサインであることを意識しながら、向き合っていきたいですね。